県道251号線 パイプライン vol.1

★県道251号線
路線名:那覇宜野湾線
起点:那覇市
終点:宜野湾市
総延長:7,500m
実延長:5,600m

愛称
浦添市内:パイプライン通り

通称
新都心内の路線以外全線:パイプライン

復帰前の状況
新都心内:米軍マチナトハウジングエリア内。道路自体は近年建設。
他区間:米軍用地

★通称「パイプライン」
那覇市古島 県道82号線(環状2号)古島交点から、宜野湾市伊佐 県道81号線交点まで


元々、米軍の送油管が地下に敷設されていた上を利用していた道路である「パイプライン」と呼ばれている道路と、那覇市にある現在開発中の通称「那覇新都心」内道路を合わせて、最近県道指定された道路の様です。
県道自体は、現在新都心で終わっていますが、将来的には那覇市安里まで延伸する予定で、用地買収が進められています。
県道指定は、新都心のサンエーメインプレイス近辺から、宜野湾市大謝名辺りまでと思われます。きちんと調べてはいないという事もありはっきりしませんが、通称パイプラインとして、判る範囲で全線走ってみたいと思います。

★パイプライン通りの由来(大平養護学校前の看板より)
1945年(昭和20年)沖縄戦を経て、アメリカ軍占領下におかれた沖縄に、次々と軍用施設が建設されるようになりました。
1952年(昭和27年)に、那覇軍港から北谷桑江ブースターステーション(軍施設)に至る送油管布設もその一つで、ジェット機燃料を送油するための鋳鉄製油管3本(道経350ミリ)が併設されました。
この油送管を一般的に「パイプライン」(陸軍貯油施設とも言う)と呼んでいました。浦添市内では内間、大平、伊祖、牧港の地中に埋設されていました。
パイプラインは、本県の南北を結ぶ国道58号及び国道330号の間に位置し、人々の通勤、通学をはじめ、企業の流通路としても利用されていましたが、雨が降れば泥んこ、晴れればホコリが舞い上がる悪路でした。このため市道、県道として整備しようとしても、アメリカ軍の軍用施設であるので道路整備ができませんでした。しかし県民、市民の早期返還の要望が高まり、アメリカ軍は1985年(昭和60年)6月30日内間〜伊祖間、1990年(平成2年)12月31日伊祖〜牧港間を返還しました。
その後市道(※)として認定された市内パイプライン道路は、1989年(平成元年)2月8日、「浦添市道路愛称選定委員会」により「パイプライン通り」と命名されました。
※現在は県道251号線です。

那覇市新都心内区間

のっけから終点の写真なのですが、那覇新都心内の県道は、現在、ホテルの「ナハテラス」以南は未開通です。将来は牧志まで直通できる様です。


建設予定地に建てられている予想図です。現在用地買収が進められています。


新都心の奥座敷、「ザ・ナハテラス」です。
1987年に「沖縄リージェントホテル」として開業した後、「パレスオンザヒル沖縄」を経て、現在に至っている様です。ブセナテラスとは同じ系列です。


周辺には、沖縄職業総合庁舎やマンションが建ち並びつつありますが、道路がまだ開通していない事もあり、静かな環境です。


右側に、沖縄のスーパーチェーン、サンエーの誇る、サンエーメインプレイスを見ながら、県道は北上します。
サンエーの向かいにある、現在空き地になっている場所には、博物館か美術館が建設される予定になっている様です。
通行止め未開通個所から、このサンエーメインプレイス前の交差点までが、「新都心牧志線」、この交差点から、「パイプライン」までが、「新都心中央線」となります。


沿線には、次々と新しい店や建物が建ち並びつつありますが、まだまだこらからの街といった印象です。モノレールが開通し、計画中や建設中の建物が出そろい出すと、ここは本当に「新都心」として発展を始める事でしょう。


那覇市銘刈−浦添市伊祖(パイプライン通り)

那覇新都心から、県道81号線、通称「環状2号」と交差して、いわゆる「パイプライン」に入ります。


パイプラインに入ってすぐ通過する、「安謝川」に架かる「宇久増橋」。


結構凝ったデザインになっています。
この橋は、戦前ここを走っていた沖縄県営鉄道の列車をイメージしてデザインされているそうで、車輪と枕木がモチーフになっています。
軌道跡は、パイプライン古島交差点(環状2号との交点)から、大平養護学校前辺りだそうです。


浦添市大平までの道路は、大部分が、歩道や街路樹の整備がなされています。


歩道の無い未開両部分もまだまだ多い様です。


小湾川と、両サイドの道路をまたぐ若太陽橋(わかてぃーだばし)。
ちなみに太陽橋(てぃーだばし)は、若太陽橋の奥に見える、両サイドの道路を繋ぐ短い橋です。「てぃーだ」とは、沖縄の方言で「太陽」を意味します。


途中の大平養護学校前に展示されている、県道251号線にゆかりのある、米軍のパイプライン時代の境界杭と、戦前の沖縄県営鉄道軌道の時のレールです。

★油線・軍用地境界杭(案内板より)
このコンクリート製三角柱は、米軍が油線軍用地の境界を示すために設置していた実物のものです。
日本字と英字の二種類があり、宜野湾向け日本字、那覇向けに英字の境界杭が使い分けられていました。
表示の30尺は約9m、30F(フィート)は約9.1mとなります。
1985年(昭和60年)同施設返還に伴い、境界杭も撤去されました。

★軽便鉄道線路(案内板より)
この線路は、街路2−3−3号城間線改良工事(1991年10月)現場から出土したレールに枕木を復元したものです。


パイプラインは真っ直ぐ北上を続けますが、軌道跡は左に分岐して国道58号方面に向かいます。
大平養護学校前の、この写真でバスが出てきている道が軌道跡です。


浦添市の中心となる5差路です。
左手前は、浦添市の旧商店街で、現在は夜の街になっている「屋富祖通り」、左斜め側は、ダイエーや58号沿線のサンエーマチナトショッピングセンター、メイクマンなどの大型商業施設が集まる地域へと向かう「サンパーク通り」、右は市役所、警察署、消防署、図書館、美術館などのある、「市役所通り」です。


大平から伊祖区間は、街路整備がほぼ完全に終わっている様で、全線街路樹のある歩道と広めの路肩をもつ2車線道路になっています。


浦添市伊祖で、県道153号線「牧港通り」と交差します。ここから北は、未整備の区間となります。

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