壺屋やちむん通り

愛称:壺屋やちむん通り

平和通り商店街からひめゆり通り(国道330号)向けに抜ける道です。
「やちむん」とは焼物の事で、壺屋という地名からも判ると思いますが、ここは、約300年前に、当時の琉球王府が、那覇周辺に散らばっていた陶工を集めて作られた陶器の街です。
第二次世界大戦後、市内全域を米軍に接収されていた那覇の街に、復興の為の資材を作るという目的から、真っ先に接収を解かれた所でもあり、戦後沖縄の復興の中心でもあった様です。
琉球王府時代は王府で使用する陶器や骨壺、泡盛の瓶、日常品、戦争中は陶製の兵器、戦後は復興の資材である瓦や日常品、世の中に余裕が出てくると、シーサーや土産物と、中心となる生産品は変わってきてますが、一貫して陶器の街であり続けている、歴史の有る通りだそうです。

平和通り商店街を抜けると、目の前に「壺屋陶芸センター」の建物が見えてきます。
この建物の前から始まる一方通行の道が、「壺屋やちむん通り」です。
この陶芸センター、現在では、やちむん通りで作られる陶器の展示即売をしている所ですが、元々は潰れて放置されていたホテルだったそうで、通りの入口で十年以上も暗い雰囲気を作っていた為、みかねた壺屋の地域住民や陶業の会社が資金を出し合って買いとり、改装して作られたという経緯をもっているそうです。
最近、通りの一番目立つ所にある大きな建物が廃墟となり問題になっている事が多い様ですが、ここでは地域がこの様な形で解決をしています。


通りの入口の陶器店の店先にある、陶製の案内板とシーサーです。


陶芸センター隣の、那覇市立壺屋焼物博物館です。壺屋の歴史と沖縄の陶芸の歴史が判ります。まずここを見てから、街を散策すると、また違った目で見る事が出来るかもしれません。

石畳風の道路の両側には、陶器の店や工房が並んでいます。


売れ筋はシーサーの様で、シーサーを中心とした品揃えをしている店が多い様です。


こちらは骨壺の店です。
沖縄独特の、装飾を施された骨壺が並んでいます。普通の観光みやげ店には無い商品です。


国道330号「ひめゆり通り」との交差点で、壺屋やちむん通りは終わります。ここを右に行くと空港方面、左に行くと沖縄市方面、真っ直ぐ行くとハンバーガーが食べられます。


ひめゆり通り側入口にあるシーサーと陶製の案内板です。後ろのガジュマルの木の裏には、「東ヌカー」と呼ばれる、壺屋地区でもっとも古いと言われる井戸が有ります。


路地裏に見える、何気ない、でも有名な家、「新垣家」です。このシーサーのある屋根の下が、人気の記念撮影スポットになっていたり、雑誌の表紙を飾ったりしています。最近は国の重要文化財にも指定されました。


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