県道7号線

路線名:奥武山米須線

起点:那覇市奥武山町
終点:糸満市米須

総延長:18,333m
実延長:18,333m

★復帰前の状況
那覇市奥武山町−那覇市小禄 小禄三叉路(現小禄東交差点):琉球政府道区間
那覇市小禄 小禄三叉路(現小禄東交差点)−糸満市照屋 照屋十字路:軍道区間
糸満市照屋 照屋十字路−糸満市米須:琉球政府道区間
復帰前の7号線は、現在の国道332号の那覇空港−那覇市奥武山 山下交差点区間までと一体で管理されていた様です。

那覇方面から糸満への、もう一本のメインルート。地元でも普通に「7号線」と呼ばれているそうです。

那覇市奥武山(山下交差点)−那覇市小禄(小禄東交差点)

7号線は、国道331号山下交差点より分岐します。331号「糸満街道」と合わせて、那覇と本島南部を結ぶ重要ルートです。
角に交番が有ります。また、曲がった所にスーパーホテル那覇があります。


北側には奥武山公園の緑が広がります。

山下橋交差点です。モノレールの高架が見えています。
この地域、那覇市山下町は、復帰前に米軍より、戦争時にマレーの虎として連合国側に恐れられた大日本帝国陸軍の山下奉文大将を思い起こさせるとして、代わりに江戸末期に黒船の艦隊を率いて日本に来航したペリー提督の名前を取り、「ペリー」という地名に改名させられたと言われる地域です。復帰後は山下町に戻っています。
ペリーは浦賀に行く前に、当時の琉球に立ち寄っていますのでゆかりはありますが、山下町は山下大将とは全く何の関係も無いそうです。

小禄の市街地を走ります。沿道には小禄ボウル、ホテルエアポート那覇などがあります。


小禄東交差点、以前は小禄三叉路と呼ばれていたそうです。現在は直進するバイパス線の開通により三叉路では無くなっています。角には小禄病院があります。


那覇市小禄(小禄東交差点)−豊見城市豊見城 (7号バイパス)

1998年に供用が開始されたバイパス線はさすがに新しく、郊外のニュータウン内の道路の様な感じです。
路肩にはためく一番搾りの幟を見ると、最近オリオンのシェアは落ちたのかと心配したりしていまいますが、私に心配される様な筋合いでも無さそうなので先に進みます。


緩い坂を上りきった所のトンネルです。銘板は見あたらなかったので名称は判りません。トンネルの上は旧海軍司令部壕と一体化した公園になっています。
道路の右側は宇栄原団地です。


トンネルを出た直後にある「火番橋」。海軍壕やトンネルの有る小高い丘の名称「火番森(ひばしむい)」から付けられています。
火番森の名称の由来は判りませんが、その昔、灯台かのろしでも上げた所なのかなと想像します。
この橋を渡り切った所にある「りうぼう」「ホットスパー」「ファミリーマート」と、三方店の有る交差点を左折すると海軍壕公園になります。

暫く進むと、バイパスは旧道と合流し、糸満を目指します。

那覇市小禄(小禄東交差点)−豊見城市豊見城 (旧道)

バイパス線の方がメインルートとなり、旧道と言われていますが、現在も県道7号線として頑張っています。沿道は住宅と商店が建ち並ぶ、普通の落ち着いた道になっています。


沿道にある「豊見城城趾公園」。右折すると海軍壕公園へ行く旧道です。現在は観光バスが難なく入れる新道がバイパス側に出来ていますが、最近まで、ここから上る細い道しか無かった様です。


建物が心なしか少なくなる頃、バイパスに合流します。


豊見城市豊見城−糸満市米須

旧道とバイパスとが合流し、一瞬4車線になり、豊見城市の中心部、通称「上田(うえた)交差点」「豊見城十字路」と呼ばれる交差点にさしかかります。この交差点を過ぎると、再び二車線道路になります。
最近市に昇格した豊見城は、元々この交差点近くに当時の村役所が有ったのですが、昇格した際に、国道331号沿いの新庁舎に多くの機能が移転しています。
「豊見城」ですが、正式な読み方は「とみぐすく」ですが、地元の人も含めて「とみしろ」と呼ぶ人が多くなってきている様に思います。言いやすいですし。反対に「具志頭村」は「ぐしかみ−そん」ですが、本来の読み方である「ぐしちゃん」と呼ぶ人の方が多く、地名は漢字の読みやすさよりも、口頭での言いやすさに左右されて変わっていくものかなと思います。

交差点を過ぎると、街路樹と周囲の緑が美しい道が暫く続きます。沿道には大型スーパーのサンエーウィングシティがあります。

豊見城団地近くに架かる、平良大橋。道を直線にするために架橋されたバイパス的な橋です。旧道は丘の稜線に沿って走っていました。

沖縄県の県花「でいご」と、キタローのオヤジの様な沖縄県のマーク。この橋が県道であると強く主張しています。

平良大橋を渡った所に、最近開通した那覇空港自動車道豊見城インターの入口があります。ちょっと判りにくい気がします。

豊見城団地入口を越えた所にある、超難読地名のバス停。保栄茂と書いて「びん」と読みます。この地を訪れる観光客も多いからか、記念写真を撮るのにはとても良い感じのバス停になっています。
保栄茂から先の沿道は、住宅地からサトウキビ畑に変わります。

街路樹の続く直線主体の道路になり、糸満市に入ります。

座波地区を過ぎると通過する、報得川(むくえがわ)を渡る報得橋。特徴のない小さなコンクリート橋なのですが、この場所での架橋の歴史は古い様です。

現報得橋に隣接して、王朝時代の報得橋が復元されています。以下説明文から抜粋です。

糸満市指定有形文化財 報得橋

報得橋は元は木橋であったので、大風や大雨の度に傾いたり流されたりして大変不便な時があった。
尚氏王統十二代の尚敬王は、役人に命じて橋を改修させた。1732年8月21日から11月1日まで約70日間の工期に石細工4687名と人夫11668名を動員して行われた。
完成した橋の形はまるで虹が架かった様であり、また、竜が誇っている様でもあると、当時の人々はその勇姿を讃えている。
報得橋は小さな木橋から大きくて広い石橋に改築されたが、大正4年には自動車を通す為のコンクリートの二重のアーチ橋になった。しかし、この橋も沖縄戦で破壊され、戦後幾度か掛け替えられて今日に至っている。
戦争で破壊されたと思われていた報得橋の一部が平成3年8月の架橋工事の際に発見され、今日の橋の復元となった。
復元された報得橋は、一部ではあるが、琉球王府時代を偲ばせる貴重な建造物である。

こちらが照屋交差点です。ここから右折すると糸満ロータリー、左折すると東風平を経て与那原、直進すると糸満市米須に向かいます。

この交差点の近くには、沖縄戦で破壊された旧沖縄県営鉄道の使用していたコンクリート橋が残っていますが、こちらの方の保存復元や文化財指定の話は聞きません。

照屋交差点以南の道は、集落の間を走っている為、周囲は殆どが畑や山です。途中パームヒルズゴルフリゾートの入口を通過します。元々は米軍施設だったそうですが、復帰時に返還され、一部は航空自衛隊のレーダーサイトになり、他はゴルフ場として、ゴルファー達のフィールドになっています。また、冬になればイルミネーションが灯され、ドライブスルーで見学できる様になっているそうです。

畑の中をひたすら南に走ります。

南へ南へ…

一山越えて、米須の家並みに入ると、国道331号にぶつかり、7号線は終わります。
この交差点は、右に行くとひめゆりの塔、左に行くと平和祈念公園で、南部戦跡国定公園の中心部になります。

 

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